Back to the 2025

何でもありな話

2025年も年末ということで、一応毎年の恒例日記で
今年を振り返ることをしておりますが
まぁ~特に悩むこともなく、今年は「親の介護」が
主な出来事と思われます・・・(汗)

逆に他に何があった?と言いたくなるくらい、
それ一色に染まる一年だったなと心から思うね(苦笑)

一応、一月から振り返ってみます(笑)

一月

・転生したらスライムだった件のアニメにハマるスタートでした
・無駄に新しいDAPを2台もGetしていたようです
・ChatGPTに触れ始めたのも、この頃で色々役立つことを知った
・息子が誕生して10年でした
・BLOGの日記とは別に、一日何があったかを記録するために
 一行日記を付け始めたのも今年に入ってからです
 (正直、飽きっぽいので一か月持てば良いと思ってた(苦笑))
 一応、年末になりますが今でも継続できております

二月

・HD-2D版ドラクエⅢをクリアしたらしい
・大雪に見舞われていたようだ(苦笑)
・親父が遊びに来た際に、手が痺れると話していて、病院行きなと
 促していたが、この段階で病院で調べておけば、今はもう少し
 違ったのかも知れないな・・・
・私は風邪が長引いていたようです(汗)

三月

・まだ風邪が続いていて、家族も全滅していた(汗)
・親父が脳梗塞発症し、ここから今年の怒濤の病院と介護問題へと続く
・分からないことがありすぎて、病院からの連絡対応、役所との対応、
 母親の様子見など、まだ雪が残っていたが動くしかなかった(汗)
・転院先を探したり、両親ともに介護保険の申請を行ったりしていた

四月

・リハビリ病院へ転院
・ここら辺から、病院が思う「できること」と家族が思う「できること」に
 明らかに差異があり、戸惑い始める
・コナンの映画を見に行っていた
・チキンタツタを数回食べたようだ(苦笑)
・膵臓癌の疑いがあることを伝えられる
 (ここから系列病院の通院が始まっていくのよね(汗))
・初回の系列病院の通院から、全然話が噛み合わなさすぎて
 今後の通院に不安しかなかった
・親父の銀行キャッシュカードの暗証番号が不明で、ATM利用できず、
 窓口対応しかできずに面倒で詰む(苦笑)
・役所保護課対応も必須となり、やり取りが劇的に増える

五月

・珍しくストレス満載で、桜散策をする(苦笑)
・16回目の結婚記念日をお祝いする
・実父の命日で納骨堂へお参りに行く
・揉めに揉めまくる検査地獄から一旦抜け出す(本当に話が通じない)
・息子の運動会を見に行く
・9年振りに新しいデスクPCを購入する
・父要介護2、母要支援1が決定する(母に関しては厳しい結果だった)
・某施設の名ばかりの理事をやってくれと依頼され、オンライン参加でも
 良いと言われ取り敢えず引き受ける(汗)

六月

・現在もお世話になっているケアマネさんと繋がる
・Netflixの地面師などにハマる(苦笑)
・リハ病院から退院の話を打診される
・家族会議を行って、膵臓癌の手術の可能性があるため、一旦実家で引き取り
 手術入院までは家族で支え合おうと結論づけた(後にこれが後悔の元(汗))
・西山ラーメンの冷やしラーメンつゆが美味すぎてハマる
・親父を眼科に連れて行き、右目が脳梗塞で見えてないと思ったら、
 実は見えていて、左目が全く機能してなかった
 さらに右目は視野が狭く、見える範囲の半分だけ見えていた
・検査入院していた、母も貧血なども合わさり輸血していたらしい
・近所にできたロピアに初めて行って、ウナギを堪能していた
・人生初の病院の受診日を一週間間違える(苦笑)

七月

・7月5日の大災害の予言に沸いていた(苦笑)
・ゲリラ豪雨と重なり一時間程度、線路高架下で待機していた(汗)
・親父の退院決定し、退院後は予定通り自宅へ帰る
・諸々の介護保険制度を利用開始(ヘルパー、デイサービス、福祉機器、リハビリなど)
・母の介護度2へ上がる(これで通院にサービスが使える)
・いろいろな人が毎日のように家にやってくるため、
 数週間で母のストレスはマックス状態になってた
 (この段階で、もっと早めに手を打つ必要はあったかも知れない)
・親父退院後初の受診に、送迎がキャンセルされていて、
 時間になっても来なくて、マジで焦る(苦笑)
 結局、姉に急遽実家へ向かってもらい、遅れながらも受診できた(汗)
・暑い日が続き、みんなバテ気味

八月

・息子の夏休みの目標が「麺」を作ることだったので、
 うどんとラーメンを食べた気がします
・元々通っていた床屋がなくなったので、新しい床屋を利用する
・一旦退院まで様子見だった、膵臓癌の検査のために通う病院で
 何度も通うことになり、若干医者と揉める(苦笑)
 手術の可否に関しても消化器内科から外科へ判断を仰ぐことになる
・学校の行事で宿泊研修があり、息子がいない日があった
 こっそりお寿司食べてしまったのは内緒(笑)

九月

・膵臓癌の手術の可否で外科の受診があり、やっと親身に話を
 聞いてくれる医者に出会う(苦笑)
 正式な病名は「膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)」となり、治療を行わなければ
 後に膵臓癌になるのは、ほぼ確定らしい
 手術のメリット・デメリットを細かく説明され、
 その上で家族で判断して欲しいとのことだった
 後日、手術しない旨伝え、近隣の病院紹介してもらう
・iPhone17シリーズの発表と、iPhone17 ProをGetした(汗)
・9月に入ってから母の認知面が悪化し始める
 ヘルパーさんやケアマネさんが訪問しているが来ていないと言い張る
 デイサービスも確実に来ているが、記憶飛びが激しすぎた
・家族会議をするべく実家へ向かったところ、玄関先にゴミが出されていて
 トイレは汚物まみれで詰まっていて、急遽業者を呼ぶ羽目になる
 冷蔵庫に買ってあった食材は使われず消費期限切れが多発していた
 母は薬も飲めず、お風呂にも入れてなく、いよいよヤバさを痛感する
・母が通院している病院の通院日で、認知症が疑われる相談すると、
 新薬の説明をされ、少しでも良くなればと思い一旦了承するが
 本人負担、家族負担も多く止める予定でいた

十月

・担当者会議にて母にも訪問看護をお願いすることになった
・日曜日にも関わらず、両親二人のみでタクシーを手配して、
 膵臓癌の受診で通っていた病院へ行って、途方に暮れていたところ
 救急の看護師に保護されて、姉に連絡が来て発覚した(汗)
 いよいよ徘徊もし始めてヤバさが増していた・・・
・親父の脳梗塞の病院では可もなく不可もない状態だったため
 冬に備えて近隣の病院へ紹介してもらった
 とても良い医者だっただけに離れるのは勿体なかったが、
 近いのは我々には必須条件だった(苦笑)
・初回の訪問看護師より、母の状態が良くなく体重は28.5kgしかない
 早急な病院受診を勧められる
・翌日に近隣の病院を受診し、大きい病院を紹介してもらい
 結局緊急入院となった(以降、現時点でも入院中)
・親父を一人にできないため、姉に実家に寝泊まりしてもらうことになった
・家族と介護サービスだけで乗り切れる環境ではなくなったことから
 サ高住や特養の施設探しをスタートさせた
・母は認知症と家族は思ってたが、低栄養とストレスからくる
 意識障害であった(さらに後に「自己免疫性脳症」と診断された)
 2~3週間経っても口から食事を摂取できてなかったため
 経鼻栄養を取り入れることになった
・親父の病院については、通院も大変そうだからと
 訪問診療に切り替えることになった
・HD-2D版ドラクエⅠ&Ⅱが発売になった

十一月

・息子の学習発表会を見に行く
・サ高住、特養の施設探しを継続
 見学に行けば行くほど現実を思い知らされる(汗)
・いよいよ雪が降り始めたりする
・ドラクエⅠのクリアまでは、こぎ着ける
・親父が入れそうな施設を絞り、入居したい旨伝える
 役所の保護課の許可が必要になってくるため時間はかかりそう
・三陸沖でM6.7の地震発生、札幌も結構揺れた、津波注意報も続いた
・母の状況についても、自己免疫性脳症の説明を受けたりした
・息子用のクリスマスプレゼントとしてSwitch2をヨドバシで
 偶然に買うことができた
・保護課から正式に入居のOKはもらえた
 今後は必要書類をまとめて提出に時間かかりそう(汗)
・49歳の誕生日を迎え、お寿司とケーキを食べる

十二月

・息子がインフルエンザにかかり、一週間外に出られなくなった
 奇跡的に親二人は発症しなかった(苦笑)
・ドラクエⅡも無事にクリアする
・親父の件で、保護課に連絡すると書類届いてないとなり
 再度速効で送って待つことにする(汗)
・後日、親父をまじえて面談を行い正式に入居が決まり、
 年末に入居日も決まって安心した
・自分用のSwitch2も無事にGetできた(これでドラクエⅦも安泰(笑))
・青森東方沖でM7.6の地震発生、全国的に揺れたと思う、津波警報も出た
・母は食事を口から摂取できるかできないかで、栄養ポートを埋め込む
 手術を決めることになった(結果的にポートは回避できた)
 治療としては一区切りついたので、退院へ動き出すことになったが
 時期的に年明けになりそうだ
 また施設探しも始まるね・・・(苦笑)
・人生初のボーナスもらいテンション高かった(笑)
・クリスマスプレゼントをGetして息子は嬉しそうだった
・親父の引越し完了
・実家の解約を大家さんに連絡した

取り敢えず思いつくまま書いていったら、後半の情報量が多すぎて引きますね(苦笑)
それくらい本当に大変な一年だったのは、
ご理解いただけたのではないでしょうか??(汗)
マジでキツい時も多々ありました・・・。
病院の通院の付き添いなんて、ある程度話が通じる人に対して
できることであって、ましてや私の方が身体の状態は重いのに
家族で頑張っては、ただただ鬼か!としか思えなかったな。

経験して感じたことだけど、医療関係者は高齢者や認知症、
脳梗塞の人に対する知識を深めた方が良い。
併せて介護関係者も、当事者だけ見るのではなく、
支えていく家族のことも本当によく見た方が良い。

良かれと思った一言や、家族で頑張ってというワードが
どれだけ家族の心をえぐるのか、今一度考えて従事してほしいよ。
知識も情報もない中で、できうる限りのサポートして疲れ果て
言葉上だけでも助けて欲しいのに、セオリーとして簡単に言われると
ボロボロと崩れていくんですよ。
それだけは経験してよく分かった・・・。

医療も、介護・福祉サービスも限界は確かにあるんだけど
せめて嘘な言葉でも寄り添ってもらえたら頑張れるんですよ。
そんなことを考えさせられる一年だった気がするな。

いろいろ駆け抜けてきて、前進できたのは、親父が施設に入居できたことと
姉が親父の介護から解放されたことかな(汗)
年明け後も、今度は母の施設探しをしなきゃならないから
課題は山積みだし、大変な日々も続きますが
いつか終わるのは確かなので、頑張っていこうと思います。

取り敢えず、年末年始だけは少し休もうと思います!

33年目も変わらずあでゅ~♪

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