お別れは突然に

何でもありな話

先日の18日の昼頃に、母が永眠しました・・・。
78歳でした・・・。

大体10日前に、入院中の病院の医師から連絡があって
ちょっとずつ回復傾向にあった中、
誤嚥性肺炎になってしまって、CTやレントゲンを確認すると
肺が真っ白な状態だったようで、肺に水も溜まっているという話でした。

医療関係者や、介護関係者だと、高齢者の誤嚥性肺炎に関しては
なかなか厳しいというのは、ある程度分かるんだそうだ。
肺炎が怖いというのは、素人の私でも分かってはいたので
何となく嫌な予感はしておりました。

一応、医師も抗生物質を点滴したり、肺の水を減らすため
利尿剤を投与して、注意深く見ていくということで
こうなるともうお任せするしかないわけですよね。

15日にお見舞いに行ったときには、
抗生物質が効いたのか熱は下がってきたが
肺の状態などは改善は見られないということでした。
時にせん妄状態にもなって、点滴を抜いたりしてしまうため
手にミトンで固定せざるを得なかったらしい。

実際に母に会うと、確かに状態が良くないのは感じられたけど
呼吸も苦しいだろうに、小さい声で、よく喋ってくれたなと。
ただ話もところどころ飛んだりしつつも、家族の名前はちゃんと出てきたし
10月の入院時に比べたら、意識の繋がりがあって
その点については良かったなと思うけど、肺炎については、
回復は厳しいんだろうなと悟ってしまったね・・・。

私たちが帰宅後に、病院から連絡があり、頻脈による不整脈があり
脱水状態もあり貧血も起きていて、状態は良くないらしい。
タンパク質を増やす、アルブミンを投与する治療に加え、
貧血用に輸血も行っていくと、最善は尽くしてくれていました。

17日にアルブミンの投与をすると、ギリギリの身体に対して
耐えられなかったようで、SPO2も80台まで低下してきているとのこと。
ついにいつ急変してもおかしくないと宣告を受け、
家族に関しては、いつでも面会できるようになった。

この日も駆け付けようと思ったが、この日に限って・・・
息子さん熱を出してしまうのよね(汗)
仕方がないので、姉に状況伝えて面会に駆け付けてもらいました。
苦しそうな感じであったが、この日はまだ大丈夫そうだと判断し
長期戦を見込んで、体を休ませるために、一旦帰ってきたんだそう。

そして18日の朝6時頃に、病院から連絡があり
会わせたい人がいるなら、早めに来てもらった方が良いとのことでした。

私も奥さんも気を張っていたので、電話ですぐに飛び起きて
息子もたたき起こし、急いで病院に向かいました。
姉にも連絡し、甥っ子たちも連れておいでと促した。

病院に到着し、対面した母は、意思疎通が取れる感じではありませんでした。
でもまずは間に合ったことに、少し安堵したのも本音でした。
その後、姉親子も揃ったり、午前中には施設にいる妹も
職員に連れてきてもらって、家族が全員揃いました。

妹は療育手帳を持つ障がいがあり、母の現状をどこまで理解できたかは
分かりませんが、長く滞在するには厳しかったようで
本人の意思を確認しつつ、先に帰宅させました。

お昼の時間帯になり、姉親子へ食事に行くように促し
私が付き添っていましたが、定期的にモニターを確認していると
心拍数やSPO2などが低下してきており、
姉がお昼から戻ってきた後くらいで、モニターの数値が0になり
他の家族が全員揃った段階で、医師より死亡の確認がされました。

元々が身体がボロボロな中での緊急入院だったこともあり
もう頑張らなくていいと家族内で一致していたので
延命治療はしないと以前から伝えておりました。

肺は真っ白で、水も溜まってしまっており
呼吸も本当に苦しかったと思うんだけど・・・
亡くなるまでの数時間は、特に苦しそうな顔もせず
穏やかな表情で息を引き取ったのは、家族として救いでした。

散々書いてきたので触れませんが、幾度と大病をしつつも
乗り越えてきた奇跡の母だったので、今回ももしかしたらなんて
淡い期待したのも事実なんですが・・・
身体は限界だったのでしょうね。

本当に長い間、家族のために苦労をかけてしまいました。
もっともっとできることあったよなと、多分後悔することも多いと思うけど
家族みんな母には感謝しかないし、尊敬できる母でした。
心からありがとうと言わせてください。

そしてこれまで母に関わっていただいた、介護・医療関係者の皆様
家族を代表して厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

悲しみに浸る時間も持てないのが、手続きを進める私の運命なんでしょう。
全部片が付いたら、どっと悲しみに浸るんだろうな・・・。
まぁ~今はそれでいいや。

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