あれから13年

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実際には私は北海道住まいなので、
直接の被害にはあってませんが、日本中に衝撃を与えた
東日本大震災から13年経ちました。

平日だったので、仕事場で震度4くらいはあったと思うけど
その後、軽くネットで調べてみると、巨大地震に併せて
津波も発生して、個人的には阪神大震災以来の衝撃でした。

当時はTverもなかったので、リアルタイムに情報を得るには
賛否両論あったけど、ニコニコ動画でNHKをビデオカメラで映しながら
情報を伝えてくれていた学生さんがいたので
津波の映像を見ることができていて絶句した記憶があります。

時間を追うごとに、どんどん被害が拡大していって
これは大変な災害になると感じました。

仕事から帰る時間帯になった頃には
北海道の浦河沖でも津波が到達していて
ここまで届くのかと認識の甘さも痛感しましたね。

TVは震災情報を発信するために特別報道番組になって
深夜になってもずっと続いていました。
札幌にいながら夜は怖かったと記憶しています。

実際の被害については、後に福島の原子力発電所が爆発するなど
みなさんご存じの通りだと思います。

以降、熊本の大地震や、北海道胆振東部大地震
そして今年元日に起きた石川能登の大地震など
やっぱ日本は地震とは切っても切れない国なんでしょうね。

今も千葉県付近で地震が多発しているみたいだし
どうか大地震へと発展しないように願うばかりですね。

あらためて3.11をはじめ、災害は起きた時に何ができるかを考えると
まずは身を守るために数日分の備蓄の用意や、
イメージをきちんと固めておくことなんだと思います。

胆振東部地震の際に実感したのが、情報を掴むための手段です。
地震後にブラックアウトになり、電気が使えずTVも見れないので
最初はradikoでラジオ聴いていましたが、あっという間にバッテリーが減ってきて・・・
バッテリーを無闇に使っちゃ行けなかったんですね。

我が家はたまたま通常の電波式のラジオが家にありましたので
途中から情報収集はそちらに変更しました。

とはいえ、単3電池の予備も少なく・・・
スマホのバッテリーも使いすぎて余裕がありませんでした。
唯一、車が無事でスマホの充電ができましたが
充電速度が遅いケーブルしかなかったし、2台同時に充電もできなくて
私と奥さんのスマホをフルに充電するのに5時間近くかかった気がする。

ここら辺の経験があるため、大容量のポータブル充電器を
現在2台用意しているし、乾電池も充分すぎるほど用意しています。
水も箱買いしているし、食料の備蓄も用意しています。
そういえば防災バッグや、今年は簡易トイレも用意したな。

特に私は車椅子使用なので何かあっても、どこでも行けるわけでもないし
要は数日間同じ場所で生きられる用意は必須なんですよね。

災害が起こらないなら、それはそれで良いし
万が一当事者になっても、自力で乗り切れたら不安を減らせると思うので
多少金額がかかっても備蓄は大事だと思います。
こういう教訓を活かすためにも、こういう時期だからこそ
備蓄を始めて行きましょうよ。

そして災害に被災された方々への急務なのが
食料だけに限らず、ホッとできるような仮設住宅かなと思います。
本来は国が率先して動かなきゃならないのに
どうにもやる気を感じられないので、どうにかせ~よと言いたくなる。
現地へのボランティアも必要だと思うけど、
何よりも次の行動へ移すための資金だと思います。
だから少額であっても寄付して行けたらと思って
3.11の際には継続して寄付しています。

13年経っても、2,000人以上の方が行方不明のままだし
福島の地域によっては、未だに住むことができない地域もあるし
風化させないことが大事だなと思います。
石川能登の大地震も、おざなりになっている気がするので
あらためてメディアは現地の状況を流して欲しいなと。

南海トラフ、関東直下地震、富士山噴火、千島列島付近の大地震など
今後起こると言われているけど、被害を最小限に抑えられるように
一人一人の意識が必要なんでしょうね・・・。

無事に過ごせることを願うのみですな。

32年目は「世界でいちばん好きな人 それはあなただと言い切れる
この想いがいつまでもずっと変わらぬように 今このふつうの日々を大切に生きる
- 世界でいちばん好きな人(KAN)」からのあでゅ〜♪

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