9年振りの再会

3月の日記で書いたけど、
山の手養護学校時代に1学年下だった
Y君が2月16日に亡くなりました。
その後、あとを追うように彼の祖母も
3月に亡くなったんだそうです。
すぐにでも焼香しに行きたかったんだけど、
多忙なことは理解できたので、
少し時間を空けて伺うのを待ってました。
自分自身も多忙になりそうな気がしていたので、
敢えて昨日伺わせて頂きました。
住所では覚えていなかったけど、
記憶を頼りにY君の家に向かうと、
だんだん記憶が鮮明になっていくのがよくわかった。
懐かしさを感じてしまう程、
月日が経ってしまったのが余計に胸を締め付けます。
彼が学校に通学する時に、乗っていた車を発見。
こんなにも時間が経ってしまった事への
後悔からか・・・ベルを押すのも躊躇ってしまいました。
かといって先に電話を入れていながら、
結局帰ってしまうのも何をしに来たんだか、
分からなくなってしまうし、
それこそ逆に失礼に当たるので、
意を決してベルを押しました。
Y君のお母さんは、昔と変わらず迎えてくれました。
見慣れた玄関や、彼のために設置した
家庭用エレベータや、彼の部屋など、
そこにある風景は最後に見た9年前と
何ら変わってませんでした。
ただ彼自身を除いて・・・。
頭では充分に理解していたけど、
現実にいるはずの彼がいない部屋を見ていると、
本当にショックだったなぁ・・・。
俺が昔美術の時間に描いた、
風景画を上げたことあるんだけど、
今でも大事に取っておいてくれて嬉しかったなぁ。
かなり下手くそな絵なんだけどね(苦笑)
俺が道新に載った記事も大事に取ってあったし、
「応援していたんだよ」って言われて、
何も出来てない自分が凄い恥ずかしかった・・・。
子供の頃の写真を探せば、
彼と映っている写真もあると思うけど、
残念ながら形のある想い出はないんだよね。
心の中では、他の人には理解しづらい
想い出は沢山あるんですよ(苦笑)
そんな話を、彼のお母さんと
2時間近くは話していました。
遊びに行けない俺のことは、
「来れないのは毎日が充実している証拠だし、
色々と頑張っているんだよ。
それが俺には一番嬉しい」と言ってたようです。
これには正直言葉を失いました・・・。
彼は息を引き取るまでの、10年近くはベットの上での
寝たきりだったんですよ・・・。
そんな状況にありながらも、俺を含め友達のことを
ずっと気にしていて心配してくれていたんです。
呼びたい友達もいたようなんだけど、
呼ぶことによって逆に心配かけたくないから、
遠慮をしていたんだそうです。
単純な言葉しか思いつかないけど、
本当に凄い奴だったんだなぁって思う。
ずっと変わらぬ景色の中で、他人のことを思いやれる
俺には出来るかと言われても自信はないです・・・。
障がいがあるとはいえ、まだ自由に動き回れる
俺は幸せなんだと思う。
好きな音楽をやれて、彼女や友達や仲間がいるし、
俺の生き方を応援してくれている人もいる。
30年という短い人生で幕を閉じた、
彼の分まで精一杯生きていくことを約束しました。
恥ずかしくない人生を送っていこうと思います。
天国で見てくれているだろうしね。
改めて彼にメッセージを送るとしたら、
「俺の友達でいてくれて本当にありがとう。」
ということでしょうか。
謝りたいことは山程あるんだけどね(汗)
そういう肝心なことが言えないことこそ、
人生でもあるんでしょうし、それを忘れて繰り返すのも、
やっぱ人間なんでしょうね・・・。
夜にライブ見に行ったけど、
正直頭に入りませんでした・・・(苦笑)
ごめんちゃいm(_ _)m

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