5年前の胆振東部地震

何となくX(旧Twitter)でも呟いたけど
毎年この時期になると、ニュースも特集を組んだり
経験したことを忘れんじゃね~ぞって
言われているような気がして、
改めて振り返るようにしています。

5年前って、8月に私の皮膚移植の手術があって
その一週間後に母親の癌の手術もあったりと
8月の段階で一杯一杯だったわけですが
9月に突入した途端に大地震が起きたので
あらためて激動だったなぁ~と思います。

震源地の厚真町では震度7を記録し
私が住む札幌でも震度5弱~6強を記録しました。

夜中にけたたましい地震通知アラームが鳴り響き
目覚めた瞬間に経験したことない揺れが続き
収まった数十分後に全てのTVを始めとする電子機器がが消灯し
当初は自分の地域だけの問題かと思ってラジオ付けたら
北海道全体と聞いて、本当に大変なことが起きたと自覚したし
併せて復旧の見込みもなく、あの瞬間は絶望しかなかったな。

電池で聴くラジオはあったのに、
なぜかradiko使って聞いてしまいバッテリーが減って
それも焦ったな・・・(苦笑)

双方の実家に電話するも、自分の家の方は
食器棚が倒れてきてメチャクチャだったらしい。
家はメチャクチャなのに、震災日に病院を退院する予定だった
母親は容赦なく退院させられて、戸惑いもあったな・・・。
まぁ~先行き見えない状況で考えれば
家に帰れる人は何とか帰ってくれって言いたくなる
病院側の気持ちも今なら分かるかな(汗)

我が家で言えば、マンション住まいで息子は3歳だった。
様子を見に行くもひたすら階段を上り下りするのも
奥さんも息子も大変だったと思います。
エレベーターが動かなければ、当然私は動けるわけないので
もうどうしようもなかった・・・。

結局ブラックアウト状態は、我が家の地域は2日目の夜に
復旧してくれて、不眠不休で対応してくれた
北電の皆さんには本当に感謝しかないな。
(昨今の値上げラッシュは触れないでおきます(苦笑))

真っ暗になって感じたのは、私暗いのダメみたいで・・・
寝る時も豆電つけているタイプなので、
真っ暗すぎて相当苦痛だった(汗)
電気が付いた瞬間、歓喜の声を上げたのは言うまでもありませんな。

唯一の救いは、水道とガスは使えたんですよ。
だから食事やトイレなどは何とかなりました。

そしてスマホの充電を車でするための
ケーブルを提供してくれたり、周りの友人たちからも
気にかけてもらえたりと本当に心強かったです。

想像を絶する大きな地震に併せて、
震源地では40名以上の死者が出たり
北海道全域によるブラックアウト、
振り返るだけでも恐ろしいですが・・・
地震大国にて生きている以上、どこでもあり得るんですよね。

その経験を無駄にしないように、
スマホ8回くらい充電できるポータブル電源を購入したし
防災バッグも準備するようにしました。
飲料・食料の備蓄も継続して行っています。

対岸の火事ではありませんので
各々が被災者なる可能性があります。
少しでも生き延びるための用意くらいはしておきましょうよ。

とは言え、取り敢えず地震が起きないことを願うのみ。

31年目は「何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ
きみの名前 声が涸れるまで 悔しくて苦しくて
がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ -
何度でも(DREAMS COME TRUE)」からのあでゅ〜♪

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